中学3年生までこの町で育ち、父の転勤でテヘランに移転しました。バレーボールが大好きで高校3年生で一旦高校を中断し当時のテヘラン代表チームに選ばれるまでになりました。バレーボールに夢中になり、学校の事は完全に忘れていました。ある日の夜遅く、試合で疲れた状態で帰宅したところ父に呼ばれ、明日からバレーボールを辞めるようにいわれました。私は必死にバレーボールの魅力を父に語りましたが、父は説明は必要ないと部屋を後にしました。これは私に取ってはショックなことでしたが、父の意見は我が家では守らなければならないことであり私はバレーを中断し学業に戻る事にしました。
その年、イラン全国の大学試験を受験し、パハラビ国際大学経済学部に入学する事になりました。パハラビ国際大学は当時イランのトップレベルの大学で、生徒・先生・関係者は全員英語で話さなければいけませんでした。従って半年も立たないうちに英語をマスターし引き続き海外で勉強する上ではとても助けになりました。
国際大学入学から最後のPHDまで勉強するつもりでしたが、残念ながら大学2年にイラン革命のため大学が中断し、再度開いた半年後にはカルチェラル革命で再度中断になりました。その一年後に開いた時には、私たちのような卒業していないまま5年を経過する学生ばかりになりました。途中で結婚する人や子供まで生まれた人もいました。結果的に、長い時間にはなりましたが私は6年目に卒業しました。しかしその時はもう勉強も大学も大嫌いになってしまっていました
卒業後、ちょうどイランイラク戦争の真っ最中でした。私は命の危険がある戦争に反対ではありましたが、国の法律で戦場へ2年間行かなければならなくなりました。戦場では何度も殺されそうになり…しかし私の生命力が強かったからか、無事に軍事期間も終わりました。
その後テヘランベースのイランスウィッチというイランの大手電機メーカーに輸入輸出部長として入社し、4年間勤務したのち、1990年に始めて来日いたしました。
来日後しばらくは個人でペルシャ絨毯を販売し平成5年にアリヤトレーディング有限会社を設立しました。大手卸販売の寺内ファンビ株式会社と取引契約を締結し、大阪船場センター2号館地下1階大阪舶来マートでペルシャ絨毯専門店をはじめる事になりました。
平成10年に寺内ファンビ株式会社から独立し自分の店としてアリヤギャラリーペルシャ絨毯専門店をオープンすると 同時に、アリヤトレーディング株式会社に変更致しました。
平成20年、同じ船場センタービルの3号館1階に会社と店を移転致しました。